うんこなのにバズる理由――ウンコミュージアムで学ぶ“映える空間”の極意

「なぜ人が集まり、写真を撮りたくなるのか?」

愛知県名古屋市にある、「ウンコ」という一見ふざけたテーマでありながら、連日行列ができるほどの人気を誇る“ウンコミュージアム”の空間設計を探ること。

なぜここまで人が集まり、なぜSNSでの投稿が後を絶たないのか?

その秘密を、ハード面の工夫や空間演出の観点から分析するのがねらいだった。

「なんでウンコ…?」からのスタート

「ウンコミュージアム、行ってみませんか?」と言われたとき、正直、返事に困った。


いや、名前のインパクトが強すぎる。テーマが“うんこ”って…小学生か。いや子ども向けの企画でしょ、きっと。そう思っていた。

それでも話題性はすごいし、調査として行く意義はある。自分に言い聞かせながら現地へ向かった。

入場直後、まさかの便器着席

チケットを渡すと、いきなり「こちらにおかけください!」と案内されたのは、まさかの便器。しかもピンク。

「では!うゔゔーんと踏ん張って、うんこを生み出してください!」と元気なスタッフ。
――え?今なんて?


抵抗する間もなく着席させられ、便器から出てきたカラフルな“myうんこ”。

そしてそれを棒に刺して、「館内ではこのうんこを持ってお進みくださ~い」と笑顔で言われる。

シュールすぎて思考が止まる。なにこの儀式…。

当然ながら最初は照れくささMAX。これ持って館内歩くとか、罰ゲームでは?と思ったが気づけば周りの来場者もみんな同じ姿。

その異様な一体感に、少しずつ心がほぐれていった。

いつの間にか「かわいく持とう」としている自分

“恥ずかしい”が“かわいい”に変わるまで、そう時間はかからなかった。

この不思議な空間の中では、うんこ棒を持つのが正解。いや、かわいく持って映える写真を撮るのが当たり前になって、まんまと世界観に巻き込まれていた。

世界観、クオリティ高すぎ問題

ふざけたテーマだと思っていたが、中に入ると驚くほどしっかり作られている。

空間全体がポップな色合いで統一され、構図も“映え”を前提に設計されている。

さらに驚いたのは、世界観の作りこみの完成度。

空間デザインだけでなく、スタッフの振る舞いや言葉遣い、テンション感まで一貫しており、まるでテーマパークのよう。

ディズニーのようにスタッフ教育が行き届いている印象を受けた。

また、ショップに並ぶグッズも、若年層が思わず手に取りたくなるようなテイストでデザインされており、空間の外まで“体験”が続いていく。

この細部まで統一された没入感が、訪れた人の満足度を高め、「来てよかった」と感じさせる力になっていることを肌で実感した。

写真を撮る理由が、空間に詰まってる

空間はエリアごとにテーマが明確で、まるでテーマパークのように拠点が点在している印象。

それぞれのブースには、自然と足が止まる仕掛けが施されていて、「ここではこんな写真が撮れるよ」と言わんばかりのデザインがなされている。

他にも、落ちてくるうんこをキャッチしてスコアを競うゲームや、スクリーンに向かって「うんこーー!!」と叫ぶ参加型アトラクションなど、体験しながら思わず写真や動画を撮りたくなるような工夫が満載。

そして特筆すべきは、“撮ってみたくなる構図”の誘導。

ジャンプ写真がキレイに撮れるよう天井の高さや背景の色合いが計算されていたり、カワイイ系ショットが撮れるよう小道具や照明が仕込まれていたりと、「ここで撮れば映える」が空間設計に組み込まれている。

つまり、SNS投稿を前提に“撮る動機”が各所に設計されているのだ。

「なんでこんなに楽しんでるんだ、自分…?」と思いながらも、楽しいものは楽しい。認めざるを得なかった。

ポイント

写真を撮る“理由”を空間ごとに用意する

どこで・どんな写真が撮れるかをあらかじめ設計し、視覚的・物理的な“映え導線”をつくっていた。例えば、壁の色や照明の配置、小道具の設置が「ここで撮ってください」と無言で誘導してくる。

照れくささを“共通体験”に変えて一体感をつくる

入場時の“便器に座ってうんこを生む”という儀式は、一人ひとりが恥を共有する仕掛け。それが笑いと共感を生み、「自分だけじゃない」という安心感と没入感につながっていた。

スタッフも演出の一部として巻き込む

言葉遣い・テンション・振る舞いまで徹底されていて、スタッフ自体が“ウンコの世界の住人”として機能。来場者にとっての“恥ずかしさ”や“非日常感”を後押ししていた。

非日常な体験で「やってみたい」を刺激する

普段は絶対にしない行動(叫ぶ、踊る等)を自然とやってしまう空気感があり、その体験欲が来場動機につながっている。

まとめ

最初は戸惑い、照れくささ満載で始まったウンコミュージアム体験。だが気づけば、自分もうんこ棒を振りながら笑っていた。

ここは“恥ずかしい”を“楽しい”に、“バカバカしい”を“映える”に変える、徹底された空間だった。

ふざけるなら、ここまで徹底してこそ。そう思わせてくれる空間づくりのヒントが、ここには詰まっていた。